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結婚しました。

2016年05月12日 21:00

半年ぶりの更新です。

さようなら、から二回目のdialogです。

二度ものこのこ出てくるなどみっともないことは百も承知ですが、
こればかりはご報告しておきたかったので。



さて、
タイトルにあります通り、結婚しました。

ゴールデンウィーク中に婚姻届を提出し、結婚式をあげました。
相手はこのdialogの最後期に登場した彼女、今は妻です。

4年の交際期間を経てのゴールインであり、新たなるスタートです。

熊本地震が発生し、地震直後は式の開催すら危ぶまれましたが、
家族や友人に震災の影響も残る中参加していただいて、
どうにかつつがなく執り行うことが出来ました。



つらつらと書いてもいいのですが、
個人的に最も印象深かったところを一つだけ。


花束贈呈の時に、母親が両手を目一杯広げて待ち構えていまして、
妻ともしたことない堅い堅い抱擁となりました。

この子が結婚するなんて思ってなかった、ということだったらしく、
傍から見れば何だこの馬鹿親子、といった感じでしょうが、
人生で忘れられないシーンの一つになりました。



自分が結婚するなんて、
所帯の主になるなんて、
そして夫婦になるなんて。

妻同様、母親同様、自分でも未だに信じられないというのが、正直なところです。


過ぎてみて思うことは、
家族やら友人やらが自分のために一同に集い、祝福してくれることなど、
人生でこの一度きりなんだろうな、ということです。

それだけでも式をあげてよかったな、と思います。



また更新するかもしれません、しないかもしれません。
では。
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Gangukago.dat ~12周年に寄せて

2015年11月11日 12:00

お久しぶりです。
福岡市暮らしももう一年になりました。とりあえず生きてます、永らえてます。
eRoiMoはあの日亡骸になり、春に概念の亡骸になり、夏に霧散しました。

初秋に玩具籠-toycage-を削除しました、
ブログの削除も考えましたが残しました、
だからこそ今こうして久々のdialogを書いています、書けています。


この一年のことを簡単に記そうと思います。
私はもうeRoiMoではなく、eRoiMoだった何かです。
eRoiMo.dat(えろいもだった)がこの一年を回顧します。



2014年10月31日

親しみすぎた部屋を彼女と去り、鍵を大家に渡し、高速で北上。
その間ずっと二人は泣いていました、ボロ泣きでした、ズタボロでした。

新しい部屋で途方に暮れ、涙腺をにじませながら眠りました。


2014年11月

二週間ほど晴天がなかった天気。
引っ越した半社宅はカビ臭まみれ、北東向きの窓、詰まる下水。
肉体労働を始めとした未経験の、畑違いの仕事。
鹿児島を離れたこと、そして金銭的な不安。

一言で言えば、鬱状態でした、精神的に完全に参ってました。


2014年12月

出張で初めて沖縄へ、二週間ほど滞在しました。
行きの飛行機で見下ろした桜島と鹿児島は忘れない景色になりました。

精神的にはある程度落ち着いてはきましたがまだまだ不安定のまま、
彼女とも上手く言ってるとは言えず、仕事も午前様で、
黴の生えた布団に横たわり考えることは暗惨たるものでした。


2015年1月

年明け早々、しばらく寝たきりだった祖母が亡くなりました。
できた孫でもなかった癖に、葬儀の日はボロ泣きでした。
半月で三回ほど福岡と鹿児島を往復し、結果的に一つ吹っ切れたように思います。

それでもスマホを洗濯したり、夜勤が続いたり、部屋が寒すぎたり、
本調子とは程遠い中でもがいていました。


2015年2月

1月末から3週間ほど沖縄出張、
それが終わったら鹿児島に出張が有り、いろいろと考えました。
仕事そのものも夜勤と午前様が続き、精神的には上がりませんでした。

誕生日と祖母の四十九日が重なり、彼女を連れて実家に戻り、
福岡に帰ったら風邪を引きました。


2015年3月

風邪は2週間以上続きました、多分軽い肺炎だったのだと思います。
またも鹿児島出張、あの部屋には誰かが暮らし始めたようでした。

出張から帰ると忙殺期は終っていて、定時上がりが多くなりました、
寒さも和らぎ始め、ようやく精神は上向き始めましたが、
そうなると今度は、空っぽになった感じが否めませんでした。


2015年4月

先月から断続的に虫歯が疼いたり、腰と肩が痛んだりしましたが、
仕事は完全に落ち着き、精神状態はようやくある程度平安になりました。
この半年でようやく落ち着いた日々の中で、
自分の限、いい意味で言えば定まった未来、が見えたような気もしました。

月末には長崎の彼女の実家に行きました。


2015年5月

GWはF.S家族とT.S夫婦が来てくれて、あと下関に行って終わりました。
中旬に会社を一人辞めました、この一年で四人辞めて私含め五人入りました。

インフラ系の仕事なのでこの頃には完全に業務も落ち着いていて、
カビ臭く暗い部屋も何とか普通に暮らせる程度にブラッシュアップして、
次のステップに進むことを考えられるようになりました。


2015年6月

月初に生涯の腐れ縁であろうA.Sと呑みました、いい報告も聞きました。
1月に洗濯したスマホに限界が来ていたこともあり、スマホを買い換えました。
nexus5、docomoからワイモバイルに乗り換えました。

梅雨空に憂鬱になることもなく、福岡の曇天の多さにも慣れ、
ようやく平々凡々に日々は過ぎて行きました。


2015年7月

夜勤も含め外勤が増えてきて、真夏の屋外作業に熱中症の危機も感じました。
汗だくで働いた帰宅後の衣類は形容しがたいものでした。

初めてクレジットカードを作りました、ETCカードがメインですが。

下旬にプロポーズ、
その前後に二人で住む部屋を捜し南向きで三階のマンションに決めました。


2015年8月

盆に彼女を連れて実家に行きました、祖母の新盆がありました。
また、弟の新築新居に行ったり、三月に生まれた甥(第二子)に会ったりしました。
そして親から新車を提供されました、ほぼ最新のタントです。

下旬にスーツを着て彼女の実家を訪問し、結婚のお許しを頂きました。
彼女の実家に初めて宿泊しました。


2015年9月

ついに引っ越しました、二人暮らしが始まりました。
一週間もすると二人とも一年暮らしてたかのように馴染んでました、
鹿児島で暮らしたあの部屋と雰囲気が近いのもあったのかもしれません。

引越直後、彼女の実家側で双方の両親が対面しました、
事実上お金のかからない結納です、同棲というよりも新婚前という様相です。


2015年10月

引っ越すと同時に仕事が本格的な外勤ばかりになり、
しかも早出の午前五時起きだったり、夜勤で午前七時寝だったり、
肉体的にも精神的にも疲れていましたが、
家で一人ではないということは思ったよりいいことなのだと知る日々でした。

そして、東京ヤクルトスワローズ14年ぶりの優勝、万々歳です。




こういった感じです。
正直、9月に引っ越してからとそれ以前は精神的には別物です。
一気に将来に向けて目が行くようになりました、
それまではずっと引きずってました、
ようやく、スタートラインに立てた気がします。


鹿児島への未練、無念は大分薄くなりつつも消えていません、
消えることはないでしょうが、今の家で暮らしていくことにベクトルは向いています。

玩具籠もGangukago.datとして、
どこかで詞や写真だけでも掲載復活したいと考えています。
それが私の新しい碑です、鹿児島と福岡を繋ぐ。


たまに振り返りながら、
福岡で、生きていきます。
ふたりで。


それでは、
また気が向いたら更新します。


music:
ヨクト・雨男 - amazarashi

福岡引越前後にリリースされた「夕日信仰ヒガシズム - amazarashi」は、
春辺りまで心の支え。


玩具籠-toycage-とeRoiMoは鹿児島に沈めます。

2014年10月31日 09:00

●最後のdialogになります。

このdialogをもって、
ホームページである玩具籠-toycage-、並びにdialogを活動停止します。
また、SNS等も同時に活動停止します。


理由は、
一つに、転職の転居で何か捨てる覚悟が必要と考えていて、
ウェブでの自分の分身がそれに妥当な、充分すぎる重さがあると気づいたこと。

もう一つに、あまりにこことこのハンドルネームは、
鹿児島市で暮らすことと密着しており連れては行けないと判断したこと。
以上になります。


事あるごとに、このウェブページは開設から10000日続けたいと言ってきました。

色々な意味をこめて、纏わる諸々含めて、年に一度くらいは更新するかもしれませんが、
2003年11月11日に開始したこのサイト、並びに派生した諸々を、
2014年10月31日、4008日間、11年弱、40%強をもって、
ここに、鹿児島のイカリとして、沈めます。


ネット上の凡てをそのままにして福岡に行きます、
いつか復活する日があるかもわかりません、ないかもしれません。
またネット上のどこかでお会いしたら、
その時は宜しくお願いします。


鹿児島で、鹿児島市で生きてきたことの碑として、
玩具籠-toycage-とeRoiMoは鹿児島に沈めます。

ありがとうございました、
さようなら。

あしたはもうここにいない。

2014年10月30日 22:00

●2014年10月。

1日。 面接、条件が悪かった。
2日。 フルコミッションの会社を面接、ほぼ採用前提で話が進む。
3日。 何もない日。気分はとかく滅入る。
4日。 彼女の知人から、とある会社を案内してもらう、即面接取り付け。
6日。 2日の会社から採用通知をもらうも蹴り、上福。
7日。 前出の会社の面接、即採用決定。
8日。 帰鹿、心は激しく揺れ動くも福岡に行く決心を固め始める。
9日。 某会社の面接を受けるも、完全に消化試合モード。
10日。 引越し準備の最初として漫画を売る、20冊で300円。
11日。 大学の友人ケイユウを緊急招集し、部屋呑み。
12日。 何もない日、3日とは気分が違った、それは明るさだけではない。
13日。 引越見積を一括でできるサイトで依頼。
14日。 感傷的な気分により夕陽を見に行く、見積メールが30通も届く。
15日。 本格的引越準備スタート、埃で頭痛がする。
16日。 見積訪問してきた引越会社で引越決定。
17日。 大家に引越の旨報告。
18日。 高校の友人、邪友とヨッシーで部屋呑み。
19日。 1週間で捨てたゴミが45リットルゴミ袋換算で10袋到達。
20日。 予定されていた幾つかの面接をこの日よりサボる。
21日。 おそらく最後にハローワークに行った日。
22日。 ストレスの霧散か溜込か、2週間で2-3kg肥ったことが判明。
23日。 最後の鹿児島ロングドライブ計8時間。
24日。 インフラ等、転居手続きの電話、電話、また電話。
25日。 新生活への買い出し、IH調理器やらローカル調味料やら。
26日。 引越準備は断捨離と知る。
27日。 市役所・銀行等、手続きを一気に済ませる。
28日。 明け渡しのための荷造り、大掃除。
29日。 業者に荷物を渡し、部屋はがらんどうに。
30日。 最後の日、彼女と思い出の場所を巡る。

31日。 引越、福岡市へ。


この一ヶ月を折角なので書き出してみた。

これだけ毎日何かあったのはいつぶりだろうか、
もしかしたら人生で最も激動だったかもしれない。


この後は何を言っても野暮になる。


明日からいよいよ福岡市民。
この部屋で眠るのも今日が最後、明日の朝には旅立っていく。

ありがとう、さようなら、色々なメモリーズ。

残り3日の部屋で。

2014年10月28日 22:00

●南向き、セパレート、三階以上、洋室、駐車場有、ベランダ有、キッチン広め etc…
大学時代のアパートが西向きを始めろくでもない部屋だったので、
この部屋に移るに当たり条件は高めに設定しました。

居心地のとてもいい部屋でした、
ずっとここで住みたかったと思うほどに。
また鹿児島に戻ってきたらここで住みたいと思うほどに。

鹿児島そのものよりも、周囲環境含め、この部屋の方に愛着があるかもしれません。

午前様が続く毎日でただ寝に帰るだけだった頃、
会いに来る友人と酒を交わし寝落ちした日々、
長く続いた無職の時間を包んでくれた最近、
総て代え難い思い出です。

もう、今月でこの塒を、住処を、基地を、アパートを、家を、部屋を去ります。
この部屋の全てに、ありがとうを。



●彼女が長く取れた休みを利用して引っ越しの準備などしてくれました。
それ以前にも業者の選定等、力になってもらいました。


感づいている人もいたでしょう、
この二年以上の期間、遠距離恋愛でした。
今まで触れていませんでしたが、彼女は福岡市在住です。


会社から社宅を与えられたので同棲とはいきませんが、
三十分以内で会える距離になりました。
これまで新幹線利用で最短二時間半、交通費二万円、と比べれば一気に近くなりました。


友人知人に「福岡に行った方がいい」と言われつつ、
鹿児島への愛着と彼女への想いが天秤で釣り合っていたのがここ一年ほどです。

彼女に「鹿児島に来ても大丈夫だよ」と言いたかった日々は、
錦江湾、或いは博多湾の藻屑となりました。

福岡と鹿児島で揺れ動いた日々は、これで結論が出ました。


実のところ、彼女の懇意にしてる方の紹介で入る会社です。

無様なところを見せるわけにはいきません、がむしゃらに働きます。
早くこうすればよかったと今後思えるように。


今日現在で交際期間の大半が無職だったにもかかわらず、
見捨てないでいてくれた彼女には返す言葉もありません。


早く一緒になれるようにします。


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