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スカイブレイン。

2020年09月13日 12:00

●多少、気持ち悪いというか、脳みそがぐわんぐわんする話。


私は曲のつかない詞を書くのが現在の趣味です、
この趣味は広く取れば「物を書く」ことになります。

ご多分に漏れず、十代の頃は何かしらの物書きになりたかった人間です。
だから詞を書いたり日記をブログにしたり写真を撮ったりするのだと思います。
温めたまま孵らなかった話の断片は未だに脳髄の片隅に散在しています。

その中でも最大規模のものは、
万一形になっていれば小説若しくはライトノベル数冊分の規模の連作でした。
私の地元に近いところで展開する、ダーク寄りの青春群像でした。

結局、書く技量や向上心などが私になかっただけのことです。


その連作の中身は、数ヶ月から半年のスパンで頭の中に蘇ります。
大抵は酒に潰れかけの混濁した意識の泥濘で、
混ぜ返されて浮かび上がるものです。

ですが、その話は昔の規模をダイジェストに変えて、
凡そ自分の成長と共に話が勝手に進んでいっています。


二十代中盤の頃は、周囲環境に抗うようにそれぞれの道を模索してました、
アラサーの頃は、登場人物の主人公格の二人や周辺が結婚してました、
今や子供がいて、それなりに落ち着いたのか、
youtubeやら創作サイトで趣味の作品を発表してたりするのです。

自分の意識下にあるものが、
それ超えて勝手に動くのを映画を鑑賞するように見てる感。
ここ二十年近く、ずっとこれはつきまとっています、いや続いています。

酒で麻痺した微睡みの中で「あー、あいつら元気でやってんなー」とか思ってしまうのです。


…ね、気持ち悪いでしょ?


仮託とも妄想とも言えない気がするのです、
かと言って、異世界の自分やらどこかで現実になっているはずもない。
一言で言えば…それを記すのはやめときましょう。

酒を切符にしてたまに巡り合う、
今後も形にはならないだろう彼らのお話を、
自分の必然である老いと重ね合わせながら、鑑賞していくのだろうと思います。

曲のつかない詞を書く。

2020年06月07日 12:00

●私は中二から曲のない詞を書き続けてます、サドンデス中二病です。

二十年以上、このdialogに上げてるもので三百作、
未発表を含めれば、もう五百作はいくでしょうか。

一時は誰かに曲をつけてほしい、と思ったり、
wikipediaに項目のある某氏に作曲歌唱してもらったりしたのですが、
今は完全に趣味的生業、
露悪的に言えばマスターベーションとして、続けています。


先日、久々も久々にハンドルネームをエゴサしました、
アダルトサイトばかりの隙間に見つけた、10年以上前の2ちゃんねる。
そこの自作詞スレッドに自分への言及がありました。
多分当時も見ていたと思うのですが、すっかり忘れてました。

当時はSNSもmixiくらいしかなく、作詩サイトが幾つかあって、
私も幾つか、いや幾つも幾つも各サイトに投稿してました。


懐かしくなると同時に少々の痛みと後悔。
そんな世界でも色々あったのです、
もうデジタルタトゥーもほぼ消えた過去の話です。

そこで触れられてる人々(HN)も殆どは消息知れずです、
多分殆どは詞を書くことをやめているでしょう、
もしかしたらプロになった人もいるかもしれません。


とりあえず、私はもう15年以上、
場所も性質も変われど、
ほぼ同じHNとほぼ同じサイト名でずっと続けています。

もうこの齢になると色々と分かるし悟ります、
この詞達は輝かしい日の目を見ることはないでしょう。
あるとしたら、死によって相対的な付加価値がつき…、
という場合によってでしょう。


それがなくてもいいのです、ないのが前提です、
この生涯と共に消えゆくものとして、曲のつかない詞を書き続けます。






追記:
曲をつければいいじゃない、作曲すればいいじゃない、歌えばいいじゃない。
という話に勿論なるでしょう。

一言で言えば、
「カラオケで百点中六点を叩き出すような極度の音痴にできるわけないだろ!」
…と、いうことです。

GANGUKAGO 10th (5) The Day 20031111 and After

2013年11月09日 22:30

玩具籠-toycage-は2013年11月11日をもって10周年。
そこで10年の複雑をあれこれ書いてみようかという短期集中企画。


第五弾、ここ十年のリコレクト。



●ビジネス、ソーシャルな面、外面。

2003年11月、玩具籠を開設した頃、大学三年生。
早い人はそわそわ就活を始めていたが、自分はのんびりしてた。

2004年2月、出遅れたことを悔やみながら必死で就活スタート。
第一社に内定が出たのは6月か7月、教職とどちらをとるかで就職を選ぶ。
その後、卒業までニートそのものの生活、
やがて飲食店のバイトも辞め、昼夜逆転生活。


2005年4月、第一社入社。
配属先は会社で最も忙しい部署、某社の専属営業、
10月は月の休みが2日あっただろうか、そして毎日午前様。
自分の使えなさに苛立ち嘆きパニックになっていた。

2007年、統括していたKS先輩が異動になり、MK先輩とタッグを組む。
MK先輩の長話に辟易したり、衝突したり、説教を戴いたりしながら効率化を進める。

白髪が増え、体重も増減を繰り返し不安定な時期ではあったが、
TKさんやイアネイが後に参加し、先方の協力姿勢もあり、
忙しくも充実した仕事をしたと言える期間が凡そ3年。

2009年末、その仕事がなくなり工場をほんの少し経て2010年、別の専属営業へ。
311などもあり頑張ろうと思えど半ばノイローゼになり、2011年秋某日、完徹の夜に心がぼきりと折れた。
見るに耐えなかったのだろう、2年で異動になる。


2012年夏、不況に拠る会社都合により第一社を退社。
失業給付などももらってのんべんだらりと無職生活を謳歌する。

2013年4月、第二社に入社するも3ヶ月で、疑問符のつく理由によりクビ。
外回りの営業、ようやくコツを掴んだ矢先、これからの糧か。


そして現在へ。
もう一つ出来事があるのだが、それはまた後日。




●プライベートな面、内面。

内面、と書いてはみたものの、思いつかない。

日々では見えないにせよ、年々ではあるはずの変化、
それは仕事のように確かな岐路やエポックといえるものがないからだろうか。


・昔にくらべると良くも悪くもどうでもいいと思えるようになった。
・自律をいう面では成長したが、型にはめたがるようになっただけの気も。
・自分の一種の燃料だった嫉妬心はもうどこへやら。
・杞憂癖や劣等感は薄くなったものの、気がつけば歪な形で顔を出す。

ぱっと思いつくのでこういうところだろうか、
心は出来事とは違い、掴みどころがない。

出来事はすんなり浮かぶが、その時の心境、心の変遷はやはりわかりづらい。
変わったのか変わってないのかすら朧、それが心、か。


10年続けてきたここが、心の身代なのかもしれない。

昔の日記を読むと「ああ、裏ではこんなことがあったな…」と思い出す。
書けないこと、書きたくないこと、それをどこかにひっかけてくれる存在がここ、
とは言いすぎかもしれないが。

GANGUKAGO 10th (1) The origin of GANGUKAGO

2013年11月01日 22:30

さて、玩具籠は2013年11月11日をもって10周年。
そこで10年の複雑をあれこれ書いてみようかという短期集中企画。


第一弾、誕生の日と玩具籠、eRoiMoの由来。



●2003年当時、邪友含めた数人の友人が個人的ウェブページを持っていて、
その年の夏にようやく自宅にウェブ環境を導入したのがきっかけ。

ちなみに一台目はMebiusのOS:Me/メモリ:64MB/HDD:8G、時代を感じるノーパソ。
すぐに壊れ、ケイユウ辺りと相談しながら、
OS:2000PRO/メモリ:256MB/HDD40Gに買い換える。

その後、ホームページビルダーをタダ同然で譲り受ける。

2003年11月11日。
今にして思えばしょぼいコンテンツを作り上げ、基本機能を覚え、
キリのいい日を探していたところ、1が4つ並ぶこの日がいいなという結論に辿り着く。

当日夜に邪友の泊まり込み協力で悪戦苦闘し、
夜が明ける頃にアップロード完了。


今思い返せば右も左も分かってない状態、
google検索もろくに使いこなせてないし、
ウイルス対策ソフトの重要性も知らなかった、ノーガートノースキル。

それでも実践的に知識を習得し、ウェブで火の粉を被ることもなく10年目。



●玩具籠-toycage- の由来。

「ここにあるのは自分が使える言葉や写真がもたらす脳内の『玩具』だ、
しかし、それは自分という脳内の『籠』の中から出ることは出来ない」という小難しい意味。

ここにある全ては、見聞したものを自分の中で整理したり組み立てたりしながら、
一種の「高め」をしたものであるはずだが、それは自分の限界から出ることは出来ない。
その時の自分の範疇で作り上げたものでしかない。
ならば、その範疇で作ってやろう。

これは全てが後付け。


実際は、
当時ヘビーローテーションだった曲から単語を引っ張り出して、つなげただけ。
『brain-toy』と『cage』を、別個の曲で印象に残ったこの二単語をつなげて『brain-toycage』。

そしてbrainという言葉に今で言えば中二病なニオイを感じたのでこれを取り除き、
さらに日本人だからサイト名はやはり日本語でいったほうがいいなという思いが芽生え、

『 toycage → 玩具檻 → 玩具篭 → 玩具籠 → 玩具籠-toycage- 』

ちなみにcageが籠なのは、鳥篭がbird cageと呼ばれているので。
ガングオリorガングカン、という読みが個人的にしっくりこなかったのもある。



●eRoiMoの由来。

先ずは変遷から、
『 odoriko → keen-a-go-go → E.G.A-cyot → ( → えろいも ) → eRoiMo 』

…全部に説明が必要、か。

odorikoは一番分かりやすい、そのまま村下孝蔵氏の楽曲。
サイト名は上記の通り考えに考えていたが、名前をうっかりすっかり忘れていて、
とってつけたようにこれに決定。

keen-a-go-goはウェブページアカウント名そのまま、
『XXXX-a-go-go』という言葉の響きが良さそうだったことに加え、
尖った感じを与える『keen』を付加、もう一つ意味はあるといえばある。

アカウント名をgangukagoやeroimoに変えようと何度か考えたが結局このまま。

E.G.A-cyot(エガ・キョット)が一番分かりにくい、
簡単な言葉遊び、toycageの英字を逆に並べて適当に区切りなどをいじっただけ。
すわりが悪いと思いつつも、結局eRoiMoと併用しながら一年半に渡りこれを使う。


そして現在のeRoiMo。
2004年8月、別ハンドルネームを使っていたチャットに参加してたウラチエからの、
「新しい名前考えよう!」「エロい紫芋、略してえろいもだ!」という気まぐれに端を発する。
ローマ字変更などを経てこれに落ち着く。

フルネームと呼んでいいのか、エロい紫芋はその後、
『 エロい紫芋 → エロくない紫芋 → エロい芋焼酎 』と変遷して今に至る。

『eRoiMo(えろいも)』と名乗っていたが、
某成年コミックや某バンド略称や某ネトゲアイテムとかぶったので平仮名は削除。
変体仮名がウェブで使えたなら『江露伊茂(と書く変体仮名)』にしたのだが。

オカルトーク。

2011年01月22日 22:30

真冬にオカルトトークをやってみようと思う、
怖がらせる意図はないのであっさりとした書き方でいくつもり。
神秘心霊体験とか苦手な、というか嫌悪する方、さあブラウザの戻るボタンを。

大学生くらいまでは二年に一度くらいの頻度でそんな体験をしていた、
今はもうすっかりそれもなくなってしまった、
いや、社会人でも一応あったか。

とりあえず、その中から幾つかピックアップ。



●幼稚園の頃の話。

ある真夜中に目が覚め、トイレに行った。
用を足そうと思ってドアに手をかけた瞬間、
何となく後ろを向いた。

そこに白黒反転した自分の影、
つまり真っ白な自分の輪郭がそこから見える窓に映っていた。
光が影を作ったとして、反転することなどありえない。

影絵のように映ったそれが、自分と違う動き(手を挙げた)をした時、
そのまま飛んで布団に戻った、
その日は殆ど眠れなかった。



●小学校中学年の頃の話。
どうでもいいがこの話は10年近く前に、2ちゃんねるのオカルト板に書いた記憶がある。

とある休日、隣町まで自転車で出かけ、
いつもと違う道を走っていたら迷ってしまった。

ふと、ある住宅街を曲がったら海が広がっていた、
家々やアスファルトがそのまま海につながっていた。
その日は迷子だったこともあって、
「また来よう」と思って来た道を引き返した。

高校の頃にその道を見つけたが、
そこは湿っぽい崖があるだけだった。
そもそもそこは、海からは10km以上離れた場所だった。



●高校生の頃の話。

とある真夜中、
目覚めたら金縛りにあっていて、
明らかに誰かに体中押さえつけられている感覚があった。
見えないのにはっきりと女と分かるそれで。

どうやってまた眠ったかは覚えていないが、
目覚めた時、左手首に掴まれた跡がくっきり残っていた。

自分の手と比較しても明らかに小さい、
血と思しき赤いもので。



●大学生の頃の話。

帰省してたとある日に友人とドライブに行き、
少し前に事故のあった海岸に行った。

ふと海を見ると人影があった、しかも数体。
月の出ていた夜だったが、それは全身に墨を塗ったように真っ黒で、
波に浮沈することなく、少しずつゆらゆらとこちらに近づいていた。

理由は言わず友人を急かし車に戻った、
離れてから理由を話したが一笑に付された。



殆どは思春期の過剰な意識ゆえかもしれないと思ったりする、
まぁ、与太話ですよ。

アイアムアマダオ

2010年01月03日 00:00

●ほら、有名人や漫画キャラでいうと誰に似てる?
とか言われることがあるじゃないですか。

私の相似遍歴。
約十年前に(目の部分がという非常に狭い)条件付でジミー大西、
約三年前にニィジェンイー(漫画「最遊記」のキャラ、漢字は●健一、●は人偏+称の右側)。


もうこの時点でカオス。
というかこの二人も良し悪し含めフィルター込みで、
実に芸能人やキャラに例えづらい顔の私。



本題。

というわけで自薦します。
今後、私が何に似てるかをキャラで説明するときは…。

『(眉毛の太い)マダオ【長谷川泰三】』でお願いします。

【一行補足:漫画「銀魂」のキャラ、無職で公園暮らしの別居妻帯三十代。まるでだめなおっさんを略してマダオ】

やつれたとまで形容される顔つきと髪型(たまに生やす顎鬚)、ダメ人間のおっさん。
非常に私の親和性の高いキャラだと気づいたわけです。


ましてあと数歩転げ落ちれば公園暮らしも夢じゃない昨今、
十年経って老けて眉が薄くなったら、
境遇も含めてリアルマダオも夢じゃない。

…そこは夢であってほしい。
ここ笑うところですよ、念のため。

…笑え。



…いっそ同系統のグラサン買ってみようかな。
…作務衣みたいなもの羽織っとけば充分戦えるレベルだよな、何に。
…それってもうコスプレの領域だよな。
…でもそんなことやったって参加する気ないし、鹿児島であるわきゃないしな。
…てかそういうコミケライクなもの、二次創作自体に好意的な感情ないしな。
…そんなんだからサブカルにもオタクにも素養あるのに走れないんだよな。
…とりあえずそれはいいことにしておこうか。
…そういや、女装するなら西洋喪服(mourning dress)だとか昔思ってたな。
…今でも変わってないな、そこは。
…どうでもいいや。


綾波レイの源流は森田童子。

2009年10月03日 23:00

今更エヴァンゲリオンや綾波レイについて説明する必要はないだろう。
そして、後代のアニメキャラクター造型(雪代巴、長門有希etc...)に多大なる影響を与えた綾波レイ、
その源流は実は森田童子まで遡れるらしい。

順を追って説明すれば、
綾波レイのそのそものモチーフは、筋肉少女帯「何処へでも行ける切手」という楽曲の、
>包帯で真っ白な少女を描いた切手をもらって どこまでも行こう 
の部分だ。

この「何処へでも行ける切手」にもモチーフがある、丸尾末広「少女椿」。
(個人的には猟奇的すぎて勧められない、江戸川乱歩を読破した私でも映画は八分でギブアップした)
身寄りなしになり、サーカス団の一員になった「みどり」の数奇な運命、
一行であらすじを言えばこうなる。

そしてここまでの一連のモチーフの流れは、
wikipediaでも紹介されているほどに知名度はある。


本題はここから。

最近知ったのだが、少女椿の主人公「みどり」、
これは森田童子の楽曲「セルロイドの少女」がモチーフになっている。
確定ではないが、実際に「少女椿」のテーマソングに使いたいという打診があったらしい。
(森田童子…学生運動の終結しかけた70年代末、それらへのレクイエムでカルト的人気を博し、
ドラマ主題歌「ぼくたちの失敗」により知名度も向上した女性シンガー)

以下、歌詞より引用。

>七色のライトが夢の家族を呼ぶ
>ああ淋しい家族合わせ 火を噴く弟 母の水芸

>一輪車で 十七歳のミドリちゃんは 
>孤独の荒野ひた走る がんばれ がんばれ ああ家族合わせ


youtube→ http://www.youtube.com/watch?v=spZImCkt6Mk

サーカス団の家族を描いた、森田童子の中でも異色と言えるこの曲、
少女椿を見た人ならピンとくるかもしれない。


つまり、

森田童子「セルロイドの少女」
→丸尾末広「少女椿」
→筋肉少女帯「何処にでも行ける切手」
→綾波レイ

この一連の流れで、
一般的知名度の低い雑技団家族の少女を歌った歌は、
日本で最も知名度の高いアニメキャラクターへと転身を遂げた。


…というか、
いくら検索しても、セルロイドの少女と綾波レイの関連性を書いたサイトがなかったので、
おそらく誰かが気づいているだろうことをわざわざ書いているだけだったりする。


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